本日のコラムは仕事とはまったく関係の無いものになってしまいました。
私の趣味について書きたいと思います。私の趣味のひとつに「落語」があります。
正しくは立川談志さんの落語が好きなんです。
私なんてこんな仕事をしていますから、普段から間違ってはいけない、
正しくなければいけない、約束は守らなければならない、結果は出さなければならない、
ならない、ならない、ならないとがんじがらめのなかで生きているわけです。
はたから見れば品行方正で何事に対しても融通のきかない、しかも先生なんて呼ばれているわけですから、
さぞかしイヤな野郎だな、とこうなる訳ですがそれはあくまでも仕事上の顔であって、根本はちょっと違うのかなと思います。
例えば、公園で昼間からワンカップをあけてレロレロになってるおじさんなんかを見ると、
“いいなぁ、うらやましいなぁ”と思ってしまうわけです。
で、なぜ落語が好きなのかと聞かれますと、いみじくも談志さんがおっしゃられた
「落語とは人間の業の肯定である。」
とこの一言に凝縮されていると思います。
がんばらなければならない、真面目でなければならない、一生懸命でなければならない、
お金を稼がなければならない、ならない、ならない、ならない、の正反対。
「アンタはアンタでいい、イイよ出来なくったてそのままで。」
とこう言われている気がします。そこには底抜けに優しい世界があるような気がするんです。
大体、落語の登場人物なんてほとんどのキャラクターがムチャクチャ。
酒好き、女好き、博打好き、しかも貧乏で借金まみれ、どうにもならない。
どうにもならないんだけれども、なんか楽しい、みんななんとか笑ってその日を生きている。
そこに私なんかは救われるわけです。
やれ税理士だの、先生だの呼ばれているがお前なんか一皮むいたら本質は
そこいらの酔っ払いのオヤジとどっこいどっこいじゃないか、
イイよ出来なくったって、弱音吐いたって、と誰も言ってくれないから自分で自分に言うみたいな・・・。
好きな落語のネタに談志さんの「ラクダ」があります。
このネタを聴いて談志さんのファンになってしまったのですが、
このネタは今は亡き関西の桂米朝さんもよく演っておられました。
このネタは、酒好きの小心なクズ拾いが生前つきあいのあったヤクザの死をさかいに、
ヤクザの兄貴分に葬式の準備を無理やり手伝わされ、
やっとこさ準備が整ったので、さぁ帰ろうとすると兄貴分から一杯飲んで帰れと言われる。
根が酒好きなもんですから飲んでいくうちに気が大きくなって
次第に兄貴分との立場がだんだん変化していく。その変わり様が面白いという物語です。
私も面白いなぁとよく聞いていたんですが、
談志さんのラクダを聞いて本当にビックリした。
何がビックリしたかというと談志さんのはこのクズ拾いの人物描写が圧倒的に違う。
どう違うのか、このクズ拾いの酒が入るにつれての兄貴分との情景を、
クズ拾いと馬鹿にされ、さげすまれ、おまけに貧乏で、
それでも我慢しながらなんとか生きていくんだけれども、
どうにもならない心の激情を酔うにつれ吐き出してしまう、
とこういうふうに描いた。酔ってなにが悪い、グチってなにが悪い、オレだってなぁ、と。
(本当は私の筆なんかではとても正確に説明出来ておりませんので是非聴いてみてください。)
これには本当に驚いた。楽しい酔っ払いの話が、
弱い人間の抑圧された世間への心情の吐露に変わってしまった。
なんだこの世界観はとなっていっぺんに好きになってしまった。
もうそのあとはやれCDを聴く、ビデオを観る、というふうに。
聞くところによると寝付けない夜に落語を聴きながら眠るという方も多いそうです。
なんか安心できるんでしょうかね。
よい時代なのか、わるい時代なのか、
今はYoutubeなどでも観ることが出来ますので是非皆様も一度聴いてみて下さい。おもしろいですよ。
本当に今日のコラムは取りとめのないものになってしまいました。
「そんな日もあるよ、イイよそれで。」
誰も言ってくれないので自分で言って終わります。
ありがとうございました。